先日、東京都世田谷区の自宅火災で72年の生涯に幕を閉じた元ロッテオリオンズのレジェンド投手村田兆治さんは広島県の現・三原市の出身。
1968年 東京オリオンズドラフト1位指名
1968年ドラフト1位で当時の東京オリオンズにドラフト1位指名され、広島の福山電波工業高校から入団し、ロッテ一筋の通算22年間で604試合に登板、215勝177敗33セーブという成績を残し、野球殿堂にも入られている名投手。
タイトルは、最多勝利1回、最優秀防御率3回、最多奪三振4回、最多セーブ1回で、昭和50年代を代表するエースだと思います。
マサカリ投法とフォークボール
ロッテの村田投手と言えば、わかってても打てないと言われたフォークボールが代名詞で、この鋭いフォークボールを当時の袴田捕手とノーサインで投げていたのもあり、148暴投は日本記録となっています。
そして、フォークボールと同様に村田投手の代名詞と言えば、左足を地面と水平に高く蹴り上げてから大きく踏み込み、右腕を勢いよく振り下ろす『マサカリ投法』と言われる独特のピッチングフォームで、このフォームは入団4年目で完成させたと言われています。
トミー・ジョン手術からの復活
今では当たり前のようになったトミー・ジョン手術ですが、当時はメスを入れると投手生命は終わりと言わた時代に、1983年渡米しスポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブ博士の執刀の下、トミー・ジョン手術を受け、以降2年間リハビリに費やし、1984年のシーズン終盤に復帰を果たし、翌年の1985年には開幕から11連勝し、このシーズンは17勝5敗でカムバック賞を受賞。
中6日で日曜日に先発するそのスタイルで「サンデー兆治」の異名をとっていました。
私は、実際この村田投手の全盛期を球場で何度も生で観戦させていただきましたが、ストレートが速くて、魔球フォークを操るロッテのエースの前に、近鉄もほんとによくやられてました。
ライフワークだった離島甲子園
引退後は「離島甲子園」(全国離島交流中学生野球大会)を提唱し2008年から全国の離島を巡り開催されており、野球を通じた離島振興活動をライフワークとされていました。
そして、その大会に参加していた鹿児島県・大島高の大野稼頭央投手は、今春の選抜甲子園大会に出場し、今秋のドラフト会議でソフトバンク4位指名を受けました。
練習の虫、真面目、実直というイメージの方だったので、空港でのトラブルは野球ファンは誰もが信じられないことで驚かれたことと思いますし、そして今回の火災による訃報。
昭和の大エースのご冥福をお祈りします。
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