あす1月17日は阪神・淡路大震災のあった日で、早いものであれからもう28年経つんですね。
あの日の午前5時46分の事は今でも鮮明に覚えています。
それまで、関西には地震の来ないと大半の関西人は思ってたのではないでしょうか。
私は当時一階に住んでいたので、揺れる前の凄い地鳴りの音に「ん?何の音?」と目が覚めた瞬間に家が揺れ出し、「あ、地震や」と思い、「お、これは大きいな」と思った次の瞬間から、想像を絶するような揺れが始まり、逃げるどころか立つ事も出来ませんでした。
ただただ、あまりの恐怖に「ワーッ」って叫んでただけは覚えています。
体中を誰かに揺さぶられているくらいの大きな揺れに、隣に寝ていた子供の上に覆いかぶさるのが精一杯で、その時に髪の毛に何かが触れた感覚がありました。
真っ暗な中、揺れが収まり立ち上がろうとした時、頭のすぐそばに倒れてきた本箱があり、髪の毛に一瞬何かが触れたのがこの本箱だったとわかりました。
家具類が倒れてくるなんてことを考える暇もありませんでしたので、本当にあと数センチ違うだけで、私の人生は大きく変わっていたんですよね。
停電していたので、ラジオのスイッチをつけて何が起きたのかを聞こうとすると、ラジオのパーソナリティーの普段聞かないような声のトーンでのひっ迫した放送で、阪神高速が倒壊していますと繰り返し報じられていましたが、それは全く想像がつかない世界でした。
食器棚の上にあったトースターが離れた玄関に転がっていたり、食器棚の扉が閉まっているのにキッチンでは食器が割れて散乱していたり、夜が明けてからでも何が起きたのかわからない状況でした。
そして、外に出た時のもの凄いガス臭さに、せっかく助かったのにやっぱり助からないのか、爆発してしまうのかと覚悟もしましたね。
コンビニもすべて電気が止まっていたので営業をしていなかったのですが、買い物袋を提げて帰ってくる方を見つけ、どこで買われたのかを聞くと、JRから電気を引いてるので駅のコンビニは開いてますよと教えていただいて、食料を買いに行った光景や交わした会話も鮮明に覚えてます。
28年も経つのですが、やはり地震には敏感に反応してしまいますし、大型トラックの走る音が地鳴りの音に似ていて、これは今でもビクッと反応してしまいます。
南海トラフ地震が20年以内に60%程度の発生確率なんて言われていますが、来ないで済むもんならもう来ないで欲しいですね。
最後に、この震災で犠牲になられた方のご冥福をお祈りします。
今も忘れない28年前の阪神・淡路大震災

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