今は無き日生球場の思い出 PART1 | ポンタ監督ブログ

今は無き日生球場の思い出 PART1

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これまで、このブログについてはTwitterで書いたことはなかったのですが、きのう書いてみたところ『ポンタ監督ブログ』を、たくさんの方が見に来ていただいたようで本当にありがとうございました。

特に『近鉄の本拠地 日生球場跡地へぶらり』の記事には、びっくりするくらいの方が読みに来てくださったみたいで感謝感激です。

日生球場に実際に行ったことのある方には懐かしかったかもしれませんし、行ったことのない方はどんなとこだったのかと興味がある方もいらっしゃったのでしょうね。

今のドーム球場時代には考えられないくらい小さな球場で、満員で25,000人収容と昔は言ってたはずなんですが、いつの間にか収容人員は20,500人に訂正されていました。

この収容人員が30,000人に満たないため、昭和54年、昭和55年と優勝しながら、日本シリーズは南海の本拠地大阪球場を借りて開催しないといけなかったんです。

普段、近鉄のナイターでは平日の公式発表は3,000人というのが常だったんですが、実際には数百人のことの方が多かったように思います。

昔は、応援も内野席だったので、外野席に観客がいることは珍しく、たまに外野席に人がいると、応援団の人が、「入口間違ごうて入ったんちゃうか、呼んで来たれ」なんて今では考えられないような会話が本当にありました。

今、北海道日本ハムの新球場のグランドサイズが物議を醸しだしていますが、この日生球場というのは、とにかくファールグラウンドが狭く、内野席からなら一塁手の表情まで肉眼で見えるくらいでしたので、飛び交うヤジに守りながらよく選手の方が下向いて笑ってたのを思い出します。

今はヤジというと、すぐに罵声や怒号をイメージされて否定的な意見をされる方が多いのですが、とにかく面白いウィットに富んだヤジが多かったんですよ。

ヤジもただ叫んでるのではなく、ヤジるタイミングや間が大事で、それに長けた方のヤジはまさに名人芸で、その第一人者は敵チームですが阪急の応援団長の今坂さんだったと思います。

当時近鉄ファンの間では、その特徴的なダミ声からあだ名は『八百屋』と呼んでいたのですが、あの落合選手が当時のロッテの若い選手たちに、「あの人にヤジられるようになったら一人前」と話してたそうですからね。

テレビやラジオの集音マイクからでは、なかなか生のヤジを聞くことが出来ないので、それを楽しみに球場へ行っていたのも当時の楽しみ方のひとつだったかもしれません。

この日生球場には数えきれないくらい通ってましたので、思い出は数えきれないくらいありますから、なんぼでもネタはありますよw

もし何か聞きたいことがあるとかでしたら、コメントいただけて知ってる話なら、またブログに書かせていただきますね。

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