今夜のNHKうたコンでは昭和の名作詞家「阿久悠特集」が放送され、出演していた山本リンダさんの71歳とは思えないスタイル、
ダンス、口パクではない熱唱に目を奪われたかと多かったのではないでしょうか。
山本リンダさん 1951年3月4日生まれ
山本リンダさんは福岡県小倉市で生まれ、本名:稲葉あつ子(旧姓:山本)、父親はアメリカ人(戦死)、母親は日本人。
女手一つで育ててくれた母を楽にさせたいと168cmの身長を生かし、モデルオーディションに応募し、
1962年に雑誌「装苑」のモデルオーディションを受けたことをきっかけに、人気モデルとして活動を始めた。
1966年、高校在学中の15歳の時にミノルフォンレコードから「こまっちゃうナ」で歌手デビューをし、
このデビューシングルが、100万枚を超える大ヒット曲となり、翌年には全米6大都市公演を開催し、
第18回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしました。
舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる「可愛い子ちゃん歌手」の元祖的な存在ともいえます。
見事なイメージチェンジ「どうにもとまらない」
しかし、デビュー曲の大ヒット以降はヒットに恵まれず、人気も低迷し、1971年にはキャニオンレコードに移籍。
きょう、出演された「うたコン」の中でも、山本リンダさん自身が「デビューした時は、こまっちゃうナというかわいい歌
だったのですけど、長く歌える歌手になりたいと思うようになりまして、イメージチェンジがいつもうまくいかなくて、
やっといただいた素晴らしい曲(都倉俊一)に素晴らしい詩(阿久悠)をつけていただいて「どうにもとまらない」(1972年)が
生まれたんですと話されていました。
それまでの「こまっちゃうナ」路線を一新し、切れ目の入ったパンタロンや赤いブラウスによるへそ出しルックに、
過激な振り付けなどを披露して、アクション歌謡の先駆けとされ、イメージチェンジに見事成功しました。
「狙いうち」
きょう放送された「うたコン」で披露されたのは「狙いうち」
「ウララ ウララ ウララで ウララ ウララ ウララよ この世は私のためにある」と、かわいいアイドルから
かっこいいから大人の女性へ変身させくれた曲となりました。
そして生放送で、山本リンダさんがこの「狙いうち」を熱唱。
とても71歳とは思えない見事なスタイルで、キレのある踊り、口パクでない生歌で見事なステージでした。
まとめ
昭和に生でこの歌をテレビで見ていた方は、当時の歌番組を思い出しながら見ていたでしょうし、今の時代の方々は、
Twitterには「高校野球の応援の歌や」とか「中日ドラゴンズのチャンステーマ」と書き込んでいた方が多く見られました。
でも一番多く見られたのは「いくつなんや」とか「めっちゃ若い!」という声だったみたいですね。
山本リンダさん、いつまでも、この華やかなステージを見せてくださいね。
コメント
私も見ました。
すごかったですね。ヒール履いてステージに立つだけでも大変のはずなに、あのパワフルな動き!感動しました。まだまだ歌って欲しいです。
コメントありがとうございます。
きっと普段もトレーニングされてるんでしょうね。
プロのステージでしたね。