2022年プロ野球パ・リーグのクライマックスシリーズ・ファイナルシリーズで福岡ソフトバンクからアドバンテージを含む
4勝を挙げ、日本シリーズ進出を決めたオリックス・バファローズ。この球団には球団譲渡や合併などのいろんな歴史があって、
複雑な思いのファンの方も多い球団なんで、合併球団オリックス・バファローズのその歴史について書いてみます。
オリエント・リース
1988年10月19日、世間の野球ファンはパ・リーグの優勝をかけた近鉄バファローズが川崎球場でダブルヘッダーを行なうと
いう事で盛り上がってるときに、突然流れたニュース速報。
『阪急がオリエント・リースに球団譲渡』えっ!て思わず声が出て、何度も見直しました。
当時、閑古鳥のなくパ・リーグは経営状態が厳しい球団が多く、球団譲渡に関しての話はよく出ていたのですが、阪急だけは
関西での超有名企業でもあり、その噂すら聞いたことなかったので、何かの間違いじゃないのかと思いましたし、オリエント・リース
という会社も当時は一般的にはあまり知られておらず、特に関西では有名な天下の阪急が聞いたことない会社に身売りするはずないと
思ったものでした。
阪急ブレーブス
1936年日本野球職業連盟に『阪急軍』として参加、翌年には本拠地西宮球場を開場。戦後『阪急ブレーブス』と改称。
1967年に西本監督のもと球団創立32年目にして初優勝を果たし、ここから1968年、1969年と3年連続リーグ制覇を果たす。
1971年、1972年にもリーグ制覇は果たすも、日本シリーズではⅤ9時代の巨人の前に敗れる。
西本監督から引き継いだ上田監督のもと、1975年プレーオフで近鉄を破り6度目のリーグ優勝をし、6度目の日本シリーズ挑戦で
広島に4勝0敗2分けで初の日本一に。
翌年1976年もリーグ制覇を果たし、日本シリーズで巨人を倒し日本一となり、翌1977年も日本シリーズで巨人を破り3年連続日本一を達成。
1978年は日本シリーズではヤクルトに敗れるの4年連続のリーグ優勝と、阪急最強時代を形成。
1984年に6年ぶりのリーグ制覇を果たすも、日本シリーズでは広島に敗れる。
1988年、阪急電鉄創立記念日にあたる10月19日に、オリエント・リースに買収されることを突如発表。
この年が阪急ブレーブス最終年となった。
本拠地西宮球場は、駅からも近く見やすい球場で、アストロビジョンの設置、人工芝、マスコットキャラクターのブレービーの採用など、
12球団一と言われるファンサービスの充実を図るも、観客動員には結びつかず、常に閑古鳥が鳴く状況だったのが惜しまれます。
オリックス・ブレーブスからオリックス・ブルーウェーブへ
1988年11月4日、正式に阪急電鉄からオリエント・リースに球団が譲渡され、球団名は『オリックス・ブレーブス』となり、
西宮球場の使用は継続されましたが、グリーンスタジアム神戸を準本拠地とすることも発表。
1991年から、本拠地をグリーンスタジアム神戸に移し、チーム名も公募により『ブルーウェーブ』に変更し、監督には神戸出身の
巨人OB土井正三氏が就任。
1994年から仰木彬氏が監督に就任。イチロー氏が210安打の日本新記録をマークするなど、2位には終わるも、観客動員は
球団記録を大幅に更新した。
1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、本拠地神戸は甚大な被害を受けたが、地元・神戸市出身の宮内オーナーの
「こんなとき神戸を逃げ出して何が市民球団だ。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸でやれ」という言葉に、
チームは「がんばろうKOBE」を合言葉にシーズンへ臨み、念願の地元神戸での胴上げは叶わなかったが、1984年以来11年ぶり
にして球団譲渡後初のリーグ制覇を達成。
1996年には、リーグ連覇と地元神戸での胴上げを実現し、日本シリーズでも巨人を倒し、地元神戸で1977年以来19年ぶり
にして球団譲渡後初の日本一に輝き、この年の観客動員数は、過去最高の179万4000人を記録。
近鉄パールス・近鉄バファロー・近鉄バファローズ・大阪近鉄バファローズ
近畿日本鉄道を親会社とする『近鉄パールス』が結成され、1949年11月26日に発足した太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)に加盟。
設立当初より低迷し、万年Bクラス、最下位という弱小球団で、最多敗戦や最低勝率などの記録を持っている。
1958年、巨人から監督に千葉茂氏を招聘し、チーム名も『近鉄バファロー』に改名。
1962年、千葉茂氏から別当薫氏に監督が変わり『近鉄バファローズ』と改名。
1968年から名将三原監督が就任し、1969年には球団初の首位争いを阪急と展開し、最後の対阪急4連戦を2勝すれば
初優勝でしたが3連敗を喫し、2位でシーズン終了。
1974年からは、阪急の監督を務めた西本幸雄氏が監督に就任し、1975年2シーズン制の後期優勝を果たすも、
プレーオフで敗れリーグ優勝は成らず。
1979年、2シーズン制の前期優勝を果たし、プレーオフで後期優勝の阪急を3勝0敗で下し、球団創設30年目にして
初のリーグ優勝を遂げ、当時の12球団最後の初リーグ優勝となったが、日本シリーズでは、広島に3勝4敗で敗れる。
1980年は、後期優勝を果たし、プレーオフで前期優勝のロッテを3勝0敗で下し、2年連続のリーグ優勝を果たすも、
日本シリーズではまたも広島に3勝4敗と敗れる。
1984年、本拠地藤井寺球場にナイター設備が完成し、ナイター開きが行われた。
1988年、仰木彬氏が監督に就任し、西武との熾烈な優勝争いで、10月19日の川崎球場での対ロッテダブルヘッダーに
連勝すれば優勝という伝説の『10.19』に挑むも、第二試合、延長10回時間切れで引き分けというルールの前に優勝は阻まれた。
1989年、西武との優勝争いの中、終盤の対西武ダブルヘッダーでラルフ・ブライアントの4打数連続本塁打がでて連勝し、
マジック2を点灯させ、地元藤井寺球場で、福岡ダイエーホークスを破り129試合目で9年ぶり3度目の優勝を果たすも、
日本シリーズでは巨人に3連勝しながら4連敗を喫し敗れた。
1997年、本拠地を大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)に移し、この年の4月8日対千葉ロッテと開幕試合を行った。
1999年、チーム名を大阪近鉄バファローズと改称。
2000年から梨田昌考氏が監督に就任し、2001年マジック1で迎えた大阪ドームでの9月26日の対オリックス戦、
9回2-5とリードされた場面で代打北川博敏が日本プロ野球初の『代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打』を放ち、
12年ぶり4度目のリーグ優勝。同一監督での前年最下位からの優勝はパ・リーグ初。
しかし、この年も日本シリーズはヤクルトに1勝4敗で敗れ、12球団で唯一日本一になったことのない球団として、
クイズに出題されたりもした。
2004年、6月13日の日本経済新聞の1面に「近畿日本鉄道がプロ野球球団『大阪近鉄バファローズ』をオリックスに
譲渡する方向で交渉を進めている」というスクープ記事が掲載され、のち球団側もこれを認め、オリックス・ブルーウェーブと
球団合併する方向で準備を進めていることを発表。
これをきっかけにプロ野球再編問題が起こり、球団合併反対の署名活動や日本プロ野球初のストライキなども行われましたが、
同年11月30日をもって大阪近鉄バファローズは55年の球団の歴史に幕を降ろした。
2008年、3月1日まで共同出資を行なっており、オリックスのユニフォームの袖にスポンサー契約していたが、
スポンサー契約を更新しないことを発表し、近鉄は1949年の近鉄パールス創設以来かかわって来たプロ野球事業から完全に撤退した。
2022年、10月3日に東京ヤクルトに所属していた最後の近鉄戦士坂口智隆氏が現役を引退し、大阪近鉄バファローズに
所属した現役選手がNPBから姿を消した。
オリックス・ブルーウェーブからオリックス・バファローズへ
2005年、近鉄との合併でチーム名もオリックス・バファローズとなり、選手は選手分配ドラフトで約半数を新参入球団の
東北楽天イーグルスに譲渡し、監督には両球団で監督経験のある仰木彬氏が就任。
本拠地は、ダブルフランチャイズの形が取られ、神戸総合運動公園野球場と大阪ドームの両方を実質本拠地とするが、2007年以降は
大阪ドーム(京セラドーム大阪)を一軍の本拠地として本格的に使用。
2008年、5月21日にコリンズ監督が辞任し、大石大二郎監督代行が就任し、8月1日には正式に監督に昇格し2001年から
7年ぶり、オリックス・バファローズとして初のシーズン勝ち越しを決め、初のクライマックスシリーズ進出となりますが、第一ステージで敗退。
2011年、球団旗、ユニフォーム、ペットマーク、ロゴマークを全て一新し、新マスコット導入。
2014年、森脇浩司監督のもと1995年以来19年ぶりに前半戦を首位で折り返すと、10月2日の対ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)で、
オリックスはこの試合に勝てば、残りシーズン2試合を2連敗さえしなければ、18年ぶりのリーグ優勝、この試合がシーズン最終戦となる
ソフトバンクはこの試合に勝てばリーグ優勝という事実上の優勝決定戦を迎え、延長10回サヨナラ負けし、勝率はわずか2厘差で優勝を逃した。
2021年、中嶋聡監督のもと、終盤千葉ロッテとの首位争いを演じ、10月25日のシーズン最終戦で楽天に勝利し、千葉ロッテが
福岡ソフトバンクに敗れたことで首位に浮上し、10月27日に千葉ロッテが東北に敗れたことで、既に全試合が終了していたオリックスが、
オリックス・ブルーウェーブとしてリーグ優勝を決めた1996年以来25年ぶり13度目、そして近鉄球団と合併してからの
初のリーグ優勝を果たした。
前年、パ・リーグ最下位から優勝したのは、くしくも2001年の大阪近鉄バファローズ以来20年ぶりで、2年連続最下位からの
優勝も2001年の大阪近鉄以来となった。
クライマックスシリーズ・ファイナルステージでは、千葉ロッテをアドバンテージを含む3勝1分けで25年ぶり13回目、
近鉄との合併後では初となる日本シリーズ進出を決めますが、日本シリーズでは東京ヤクルトに2勝4敗で敗れた。
2022年、10月2日の最終戦で東北楽天に勝利し、首位の福岡ソフトバンクが千葉ロッテに敗れ、プロ野球史上初の同率首位となったが、
対戦成績で上回るオリックスが規定により優勝となり、2年連続14回目のリーグ優勝が決まった。
クライマックスシリーズ・ファイナルステージもアドバンテージの1勝を含む3勝1敗で勝ち、2年連続日本シリーズ進出を決めた。
合併球団オリックス・バファローズ(阪急・ブルーウェーブ・近鉄ファンの想い) まとめ
オリックスは合併により、戦力のアップや2球団分の観客増をもくろんだのかもしれませんが、阪急ファンにとっては、
阪急という名前もブレーブスからブルーウェーブへの愛称の変更や、敵チームの愛称バファローズへの抵抗感。
ブルーウェーブファンにとっては、本拠地を震災から街とチームが一体となって日本一を掴んだ神戸から大阪に本拠地を
シフトチェンジし、ブルーウェーブの名称をまでも変えてしまったこと。
近鉄ファンにとっては、吸収合併により近鉄の愛称がなくなりチームが消滅となったこと、バファローズの名称や、本拠地の
京セラドーム使用は残ってるが、敵チームだったオリックスを素直に応援することが出来ないなど。
それぞれのファンは、それぞれの思いが深く、観客動員が増えるどころか、逆に遠のいてしまったと思っていますが、合併から17年経ち、
合併を知らないオリックス・バファローズのファンも増えてきました。
勝つ事が一番心をひとつに出来ると思っているので、オリックス・バファローズとして日本一になることが一番だと思います。
そして、近鉄時代から叶わなかった『バファローズ』の日本一を叶えて欲しいですね。
2022年の日本シリーズの相手は東京ヤクルト。近鉄が最後に日本シリーズを戦って敗れた相手ですので、東京ヤクルトに勝って
バファローズが日本一になって欲しいと近鉄ファンは願ってます。
個人的には日本一になって、それを機にオリックスという企業名もバファローズの愛称も、すべて公募で募集してチーム名を一新して、
それぞれのファンがわだかまりや抵抗なく心をひとつにして応援できる新しいチーム名にしたらいいのになと思っています。
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